ch_yoshikawa’s blog

埼玉県吉川市在住。吉川について書きます。たまに周辺自治体の情報も。

麺チャンネルの「光月軒」紹介動画《Youtube de 吉川市》

 埼玉・千葉・東京あたりのラーメン屋を紹介している「麺チャンネル」。
 吉川市の「光月軒」が紹介されています。

 農協の近くにあるところですね。

 


【ラーメン光月軒】もやしそば+チャーハン!!お得なセットメニューにも注目!!【埼玉】【ramen/noodles】麺チャンネル 第229回

関公園

 久しぶりに関公園の前を通った。

 

 滑り台が撤去されたのは知っていたけど、家みたいなやつ(ログハウス?)も無くなったんですね。

 

 小さな丘と広場、みたいになってしまった。

 

 小学校低学年くらいのときは、たまに遊んでましたよ。
 滑り台の近くには、誰かが置いていったボロボロのダンボールがいつも投げ捨ててあって、それを再活用して滑り台に乗っていたものです。

吉川出身の有名人

 私が子供の頃は、地元出身の有名人といえばサッカーの中澤佑二選手であった。
 日韓ワールドカップ(2002年)のときもなかなか盛り上がっていた記憶がある。
 2010年南アフリカワールドカップのときには、市内でパブリックビューイングも行われた。


 今や、「吉川出身の有名人」として真っ先に名前が上がるのは、北斗晶さんであろう。
 テレビ出演時には何かと吉川の名前を出してくれるので、地元民として嬉しく思っている。

 

 中原市長のブログでよく見るのが、女子サッカー南萌華選手である。
 吉川駅に幕がかかっていたりするのをみかける。
 ぜひ一層のご活躍を期待したい。

 

吉川市 著名な出身者- Wikipedia



 吉川町時代の話だが、プロ野球選手もいたのである。
 大宮東高校から中日ドラゴンズに入団した荒川哲男さんという方だ。
 残念ながら、プロ野球の世界では目立つ活躍はなかったようで、プロ入り後、数年で引退している。

荒川哲男 (野球) - Wikipedia

MYテクノピア22

 吉川市北部には、松伏町とまたぐ形で「東埼玉テクノポリス」という工業団地地区がある。

www.city.yoshikawa.saitama.jp


吉松工業団地」という呼び名もあるが、どちらが正式名称なのかは知らない。

 

 

 昔の『広報よしかわ』をみていたら、計画の段階だと思うが「MYテクノピア22」という名称をつけられていた時期があるようだ。

 

 意味は、

  • M:Matsubushi
  • :Yoshikawa
  • テクノピア:技術・情報などが集積した理想的な
    •  → Technology+Utopia と思われる  
  • 22:21世紀を超えた将来を見通した工業団地。県の企業局が主体となって行う22番目の工業団地

となっている。

 

「MY」は「吉松」に通ずるところがあるし、「テクノピア」も今の「テクノポリス(Technology+Polis)」と同じような発想ですね。

「きよみ野富士」か「吉川富士」か

 先日、吉川美南駅にいったら、壁に吉川の名所紹介みたいな掲示物があって見ていたのだけども、その中できよみ野にある山のことが書いてあった。


 気になったのは「よしかわ富士」という呼び名だ。
 響きに違和感がある。なぜだろうか。

 

 そうだ、「吉川富士」ではなく「きよみ野富士」と呼んでいたはずだ。

 

 市のホームページをみると、

www.city.yoshikawa.saitama.jp

 

公園のシンボルとも言える高さ16メートルの吉川富士(きよみ野富士とも呼ばれています)」とある。

 どちらの呼び名も通用するようだが、「吉川富士」のほうが主であるらしい


 だが、それに続く文章は「特にきよみ野富士に登ると~」とあり、「きよみ野富士」を使っている。よくわからない。

 

 市のホームページに掲載されている調査などみると、市民の言葉としては、ほぼすべて「きよみ野富士」と書かれている。

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コメントが、きよみ野富士→よしかわ富士へと移り変わったことを伺わせる

 

 過去の資料を探ろうと、図書館に行ってみました。

 

 

 『吉川市史』によると、富士がある永田公園は「平成8年3月29日供用開始」とある。
 だが、『よしかわ議会だより No.87(平成7年9月定例会)』では、「永田公園」というキャプション付きで富士が表紙を飾っている。これは供用開始前の発行だと思うが、どういうことだろう。

 

 国土地理院のサイトを調べると、

これは最近(2014年)の様子。

 

 

 

 これは1984~1987年くらいの様子。まだ田園地帯という感じである。山のようなものはない。

 


 これはその後、1988~1990年くらいの様子。一帯の造成が始まっている。先入観の影響か、山のようなものができているようにもみえるが、よくわからない。

 

 

 


 ・・・そもそも、永田公園の「永田」って何だ?

 昔の地名だろうか。

 

 従前の住所をみても、きよみ野のあたりは、川野とか川富あたりで「永田」という名前は出てこない。

 

 だが、市の資料をみると、こういう地図がよく出てくる。

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 はっきりと「永田」と書いてある。きよみ野の地名も入っているから、古い地図ではないはず。住所ではないが、現在でも何かの名前として確かに残っているもの。

 これはなんなのだろう。

 

 同じく地図に書いてある「余蒔谷原」という地名をググってみたら、なんとなくわかった。

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 「」か。

 

 たぶん「大字川富字永田」って感じなのかもしれない。

 住居表示ではなく、地番だとそういう名前が出てくるのかもしれない。

 

 いずれにせよ、永田は地名でしょう

 

 

 いろいろと資料は眺めたんですが、結局、富士の名前の変遷みたいなものはわかりませんでした。残念。

中井沼公園の池の形は、吉川市の形?

 先日、気になることがあって、市立図書館で吉川市についていろいろ調べていたときに知ったのだが、

 

中井沼公園の池の形は、吉川市の形らしい。

 

 昭和六十二年(一九八七)、平沼・関地内の大場川沿いの中井沼の自然を生かした親水公園(中井沼公園)が建設された。中心となる池(三五〇〇平方メートル)は町の形に整形され、周囲には菖蒲田や芝生広場、遊具などを設置し町民の憩いの場とした

吉川市吉川市史 通史編2』より)

 

 

 これは国土地理院のウェブサイトで見れる写真。1974年~1978年くらいに撮影されたものということだが、沼の形は現在とそれほど変わらない。
 もうこの時点でほぼ吉川の形をしている。
 意図的なのか、偶然なのか。